(6)ワープロとPC98 日本語で一世風靡
投稿日時
2021-3-20 11:36:53 |
トピック:
IT今昔物語 デジタルで再出発
インスウオッチ Vol.1069 2021.03.21
https://www.inswatch.co.jp/
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http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=178
大連育ちの母親が北京の街を颯爽と歩く写真が残っています。タイピストとして満鉄に勤めていて、父親と社内結婚して私が生れましたが、タイピストは女性にとって当時花形の職場だったようです。
和文タイプは20世紀初頭に開発され、長らく使われていましたが、あくまで文書の清書用で、私が入社してからしばらくは、稟議書など社内文書は依然手書きで、字の下手な私は代筆探しに苦労しました。
その環境が劇的に変わったのは日本語ワープロ機の出現でした。ワープロは1978年に登場以来、わずか10年で600万円超から10万円台へと、個人でも手が届く価格になり、爆発的に普及しました。
【東芝】 JW-10 1978年に我が国初の日本語ワードプロセッサ
http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0049.html
ワープロメーカーの皆さんは80年代末には強気の見方をしていましたが、パソコンがネットで繋がり始め、文書の保管・参照・流通がデジタルで可能となり、またメールなど文字でのコミュニケーションが一般化することで、パソコンに道を譲ることになりました。
「ワープロはいずれなくなるか?」30年前のメーカー各社はどう答えた?
https://dime.jp/genre/644604/
ワープロを少し遅れる形でビジネス利用が始まるパソコンは、日本語処理を武器にしたNECのPC-98シリーズが我が国では独走状態になり、1987年3月には累計出荷台数が100万台を達成、対応ソフトは5千本を超えました。
1980年代パッケージソフト全盛期とアプリの共通点
https://web-sele.com/docs/p132.html
パソコンのビジネス利用を決定づけたのは、表計算ソフト、ロータス1-2-3というキラーソフトの登場です。私自身が初めて触れたのは、会社が導入したIBMのパソコンでしたが、PC-98にワープロの一太郎と一緒に入れて利用、が当時の定番で、私のような企画マンにとって衝撃のソフトでした。
さようなら!ロータス1−2−3表計算ソフトの歴史
https://news.yahoo.co.jp/byline/kandatoshiaki/20141003-00039667/
NECのパソコンは実はゲーム機という側面も持っていて、膨大なゲームソフトが開発され、わが国のおたく文化の基礎を築いたという功績があります。私の2人の息子もゲームのプログラミングでNECのパソコンのお世話になった口で、現在も仕事の傍らゲームの開発を楽しんでいるようです。
PC9801のゲームソフト年表
https://bit.ly/3rRtsdu
時代はバブル景気に沸くざわついた時代でしたが、鉄鋼業はプラザ合意による円高で設備の集約に追い込まれ、私は遊休化した堺製鉄所の開発プロジェクトを担当することとなりました。その時出会ったのが携帯用パソコンで鮮烈デビューを果たした東芝ダイナブックでした。
次回は日本語で守られて独走してきたNECのPC-98が、世界標準機に飲み込まれる過程を見ます。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
次回>
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