インスウオッチ Vol.1131 2022.04.04 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=205
バックナンバー>https://bit.ly/3mi2CJN
インスウオッチは2000年8月7日に、購読者246名宛てに創刊号を配信し、スタートを切りました。246名の殆どは、中崎さんが年数十回行なっていた講演でのビラ配りなど、アナログの営業力で集まった方々で、いわば中崎さんのファンクラブとしてのスタートでした。
創刊号の執筆者は、実はインスウオッチのスタッフも含め、全員がRINGの会のメンバーでした。保険業界が激動する予感に満ちた時代で、RINGの会のメンバーはそれに前向きに立ち向かい始めていました。古くて新しい問題も多々あり、今読んでも面白いので、是非お読みください。
inswatch Vol.0001 2000.08.07
https://www.inswatch.co.jp/backnumber/index/0001-0001-index.htm
(バックナンバー閲覧用のIDとパスワードはインスウオッチ各号の巻末を参照して下さい。毎月変更になりますのでご注意を)
ITから当時を振り返ると、パソコンさえあれば起業が出来る、ITが弱者の武器になり始めた時期でした。インスウオッチでは、副業として月20時間働き、時給5千円、月収10万円を目標にして、IT活用でそれを4期目に達成しましたが、その背景をハードとソフトの両面でお話しします。
◆IT投資不要で事業をスタート
インスウオッチ創業に当っては、レンタルサーバというサービスを使うことで、月額僅かな負担でホームページなどのITインフラを用意できました。インスウオッチ創業メンバーの稲葉さんが1995年に立ち上げた〈保険の広場〉も、このサービスがあったお陰といえます。
保険の広場(35)保毎連載
https://bit.ly/3hVPzvV
このサービスは、その後IT環境を効率的に使う仮想化という技術が進化して、現在のクラウドサービスに繋がっています。クラウドサービスの発展とともに、起業に必要な資金が年々少なくて済むようになり、最近では我が国でも若者の間での起業熱は高まっているようです。
AWS Activate クラウド最大手のスタートアップ支援プログラム
https://aws.amazon.com/jp/activate/
◆オープンソースプログラムで無料
ITのハード面ではレンタルサーバで投資が不要になりましたが、ソフト面ではオープンソースの活用で無料となりました。稲葉さんがWEBのフロント部分、私の息子がバックエンドという分担でプログラムを組み、極力業務プロセスを自動化することで、副業でも仕事が回るようにしました。
OSS(オープンソースソフトウェア)とは?利用時のメリットと注意点
https://hnavi.co.jp/knowledge/blog/oss/
オープンソースプログラムは、ボランタリーに始まったインターネットなどの動きが源流で、最近オードリー・タン氏の活動で話題となりました。スピード重視で一応の完成品を公開して、皆でブラッシュアップするという仕組みで、近年のIT開発は多かれ少なかれこの流れに沿っています。
東京都のコロナ対策サイト、台湾の“天才IT大臣”も改善に参加
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2003/09/news084.html
このような活動に共感できるか否かが、日本のITの将来を決めるように思います。我が国はミスをゆるさなない完璧主義の国で、ITにちょっとでも不具合があるとマスコミから袋叩きにされます。DXを進めるにはこの辺のマインドチェンジが必要と考えています。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
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インスウオッチ Vol.1129 2022.03.21 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=204
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私は、ITのプラットフォームが集中と分散という流れを繰り返しながら、導入期→成長期→成熟期と30年周期で回っていて、前の世代の成熟期に次の世代の導入期が重なるとの仮説を、この連載の初めにお話ししました。
第1のプラットフォーム(メインフレーム/端末システム)
1960年代から1980年代 集中の流れ
第2のプラットフォーム(クライアント/サーバーシステム)
1980年代から2000年代 分散の流れ
第3のプラットフォーム(クラウド、モビリティ、ビッグデータ/アナリティクス、ソーシャル技術)2000年代から2020年代 集中の流れ
第4のプラットフォーム?(IoT、エッジコンピューティング、5G、ブロックチェーン)2020年代から2040年代 分散の流れ
世紀末から21世紀初頭にかけて、わが国でも高性能で低価格なパソコンが普及することで、大企業だけでなく中小企業にもクライアント/サーバーシステムが普及し、1人1台パソコンを持って各自が仕事を行なう、第2のプラットフォームの時代がピークを迎えます。
これは業務関係のソフトを、各社がそれぞれ開発や調達して利用するといった分散の流れですが、一方で業務関係のソフトをインターネット経由で使うApplication Service Provider(ASP)という業態が立ち上がり、再び集中という第3のプラットフォームの時代がスタートします。
ASPはパソコンにソフトをインストールすることが不要で、WEBブラウザさえあれば利用可能なサービスで、前回お話しした大容量のインターネット常時接続サービス、ブロードバンドが普及するという背景から登場しますが、これが現在ピークを迎えているクラウドシステムの源流となります。
当初の代理店システムは、代理店のパソコンを保険会社のメインフレームへダイヤルアップで接続するという方式で、保険会社より郵送されてくるCD-ROMを使って、代理店は頻繁にバージョンアップが必要な厄介なもので、先進的なごく一部の代理店でないと使いこなすことが出来ませんでした。
IT今昔物語(24)安田火災のMAX 名寄せと世帯管理
http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=198
世紀末から21世紀初頭にかけて、保険業界は激動期で、3メガ体制に向けて動き始めます。その過程で残念ながら3グループそれぞればらばらな形でしたが、ASP化が進められ、代理店サイドもそれに対応する形で、インターネットに接続されたパソコンが普及し始めます。
システム共同化の道は険し---代理店システム3本立て 2002.08.22
https://xtech.nikkei.com/it/members/NC/ITARTICLE/20020820/1/
当時の例としてSOMPOJ-NETを以下示しますが、既に代理店システムとしては、ほぼ必要な機能を網羅しています。保険会社側としては合理化のかなめのシステムでしたが、当初は代理店サイドの抵抗が大きく、経営診断という形で導入の説得にあたる仕事を、保険会社から結構頂いていました。
損保ジャパンSOMPOJ-NET画面
https://xtech.nikkei.com/it/members/NT/JIREI/20030304/1/zu1.html
紆余曲折はあったものの、保険代理店業界は典型的なアナログの世界から、パソコン、インターネット、メールが当たり前のデジタルの世界に移行します。わが国では今もメールが扱えない経営者が少なからずいるという現状を見ると、1周遅れが先頭に立つ事例の一つと言えます。
インスウオッチ創刊号コラム 1周遅れが先頭に立つ
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/inswatch/inswatch1.htm
現在では代理店システムなど顧客接点に関わるフロント部分については、3メガともsalesforceを使ったクラウドシステムに移行していますが、最近東海日動は基幹部分についてもクラウド化に踏み切っていて、専属系の代理店にとっては、これからデジタルマーケティングがやり易くなりそうです。
東海日動が Salesforce Financial Services Cloudを採用 2019.04.18
https://sforce.co/3pMbZ6j
SAP を活用した契約管理システム刷新とクラウド移行 2022. 2 .10
https://bit.ly/3HLm6zb
保険代理店向けデジタルマーケティングプラットフォーム 2022.01.14
https://www.atpress.ne.jp/news/293946
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
次回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=206
インスウオッチ Vol.1127 2022.03.07 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=203
バックナンバー>https://bit.ly/3mi2CJN
2001年、21世紀の幕開けとともに60歳になった私は、OASISとINSWATCHをベースに、コンサルタント稼業をなんとか軌道に乗せることが出来ました。ここで当時のインターネット事情を振返ってみます。
ノストラダムスの大予言(1999年7月人類滅亡の日)やY2K(コンピュータ西暦2000年問題)を無事?乗り越え、新世紀を迎えられるのでは思われた矢先に、急騰を続けていたインターネット関連企業の株価が暴落、米国を震源地にいわゆるITバブルの崩壊が始まります。
日本では、ソフトバンクの株価は約100分の1に下がり、時価総額は20兆円から2800億円に急落、これをキッカケに孫正義氏のADSLによるブロードバンド参入という起死回生の挑戦が始まり、日本のIT関係で唯一誇れるブロードバンド大国になるという道筋を作りました。
ソフトバンク史上、最も無謀な挑戦ブロードバンド参入
https://sippaidan.com/masayoshi-son-broadband-entry
私の自宅がある井の頭線久我山駅前にも「パラソル部隊」が出没し、通行人に片端から声をかけ、ADSLモデムを無償配布していました。これが日本のブロードバンドを一気に広げるキッカケになり、その後の光ファイバー網の整備に繋がりました。
ブロードバンドとは、大容量のインターネット接続サービスで、常時接続が可能なサービスです。孫さんがNTTに風穴を開けてADSLに挑みましたが、現在では光ファイバー網にほぼ置き換わると共に、4G、5Gといった無線のブロードバンドも身近になっています。
ビジネスネットワーキング xDSL(77)保毎連載
https://bit.ly/3JpRLHz
私が初めてインターネットに接続したのは1996年で、その後1998年に我が家にISDN導入を導入、ここまではナローバンドといわれるダイヤルアップ接続でしたが、1999年にCATVによる常時接続が実現、ブロードバンドの快適さを実感しました。
1996年 IBM Think Pad インターネットダイヤルアップ環境
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi21.htm
1998年 複合機にISDN導入
https://bit.ly/3GFLHsA
1999年 SONY VAIO CATVインターネット常時接続サービス
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnGK/gk32-.html#p36
その後2004年渋谷にワンルームのオフィスを開設、初めて光回線にWi-Fiを繋げてその快適さに驚き、早速2005年に我が家にも光を導入することになりました。当時はソフトバンクが火を付けたADSLの加入者が1,000万人を突破する勢いでしたが、光が急速に加入者を増やし始めた時期でした。
先日テレビで〈ポツンと一軒家〉を見ていたら、山奥の一軒家まで光ファイバーが届いていて、2拠点生活でリモートワークをしている方が出ていました。日本の光回線の世帯カバー率は現在9割を超えていて、ITで数少ない世界に誇れる分野で、これには孫さんの功績大と言えそうです。
ブロードバンド基盤整備の推進 令和3年版 情報通信白書
https://bit.ly/3uEJifM
世紀末から21世紀初頭にかけては、世界中のパソコンがブロードバンドで常時接続するという世界が開かれ、ITは分散から再び集中へと、第3のプラットフォーム、クラウドに向けて動き始めます。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
次回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=205
インスウオッチ Vol.1125 2022.02.21 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=202
バックナンバー>https://bit.ly/3mi2CJN
インスウオッチ読者には、保険会社の方もおられるので、大企業に勤めながら、転職、兼業、副業を繰り返して独立という特殊な経験をした私から、今回ちょっと横道に入って、保険会社においても副業解禁が続く中、〈人生100年時代 副業のすすめ〉というお題でお話しします。
昨年1月東京海上日動が、〜社員一人ひとりの成長の実現に向けて〜と、副業を解禁でなく推奨するニュアンスで全社員に呼びかけて注目を浴びましたが、その後損保ジャパンが社内副業を解禁、最近では三井住友海上が「社外カルチャー経験者比率」をKPIにするといった策に出ています。
社員の挑戦を支える「社外副業」の効果的な活用へ2021.01.06
https://bit.ly/3EAzF2M
大企業では異例、三井住友海上が昇進要素に2022.01.25
https://times.abema.tv/articles/-/10012752
昨年サントリの新浪社長が「45歳定年制を敷いて、個人は会社に頼らない姿勢が必要」と述べてネットで炎上しましたが、若いうちは薄給で働き後から取り戻すという年功序列の仕組みが大企業で厳然と残る中では、45歳は正に取り戻しにかかっている世代で、炎上もやむなしでした。
45歳ぐらいは気力も体力も充実していて、転身を図るタイミングとしては大変良いと思いますが、終身雇用で年功序列という制度ががっちり出来ているので、私の場合も早期退職すると退職金や年金が大きく減り、経済的ダメージが大きいので、結局55歳まで勤めることになりました。
私が年功序列は世界では通用しないなと感じたのは、1978年にアブダビ政府側と油田開発のため日本から派遣するスタッフの給与について交渉した時でした。職能給(年功給)の給与テーブルを示しところ、理解不能と怪訝な顔をされて、結局世界標準の職務給を受け入れざるを得ませんでした。
若いスタッフには大変喜ばれ、休暇に世界一周の旅を楽しむなど、皆さん高い給与を謳歌していました。当時はいずれ日本も職務給になって行くだろうと考えていましたが、40数年たった今も年功給が色濃く残って、終身雇用で年功序列という、高度成長を牽引した慣行の根深さには驚かされます。
この慣行は、教育、雇用、社会保障といった、いわばゆりかごから墓場までどっぷりと制度に組み込まれていて、解きほぐすのは大変ですが、さすが持続不能な慣行ですので、ミレニアムやZ世代の若者が45歳になるころには、日本も流動性の高い職務給が主流の世界になっていると思います。
インスウオッチ読者には、保険会社にお勤めの20代、30代の若い方が多数おられますが、地球環境問題という難題はあるものの、急速な医療の進歩を考えると、人生100年は当然の前提になりそうで、人生二毛作、三毛作にそなえ、副業で将来に向けて選択枝を増やすことをお勧めします。
私の場合は、当時の人事部長が、大脳生理学の研究でも知られていた、人を見る目のある武田豊氏で、ゼネラリストとして出世の階段を昇るのは不向きと見られたようで、企画庁を出発点にスペシャリストの道を歩むことになりますが、自分の選択ではなく、外から与えられた幸運でした。
武田豊「皆からリーダーは見つめられている」
https://note.com/hisatune/n/n372a4dc0d2b5
皆さんの場合は、自らの選択で副業が出来るといった恵まれた立場ですので、現状に満足せず、いろいろチャレンジしてほしいと思います。私達の時代はゼネラリストかスペシャリストかでしたが、今は両方が求められる時代のようで、この点でも副業は能力開発のチャンスです。
T型人材|新しい時代を牽引する人材タイプ
https://times.mazrica.com/column/t-type-human-resources/
追記
以下は東京海上日動の社内副業制度「プロジェクトリクエスト制度」のアウトプット。東海のスタッフが副業として、代理店のマーケティング要員となって、お金を頂くということになれば理想的ですが如何でしょうか?
保険代理店向けデジタルマーケティングプラットフォーム 2022.01.14
https://www.atpress.ne.jp/news/293946
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
次回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=204
インスウオッチ Vol.1123 2022.02.07 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=201
バックナンバー>https://bit.ly/3mi2CJN
私は、企画庁をスタートに、身分保障での転職や社内副業いった形で、プロジェクトの立ち上げに関わることが多くありました。立場上少人数のチームのマネージメントを任されるケースが結構あり、その時は透明性を確保するため、全員参加のミーティングを頻繁に行なうことを心掛けました。
Tealな組織に透明性は欠かせませんが、全員参加ミーティングというアナログの世界を、インターネットに置き変えられそうと感じたのが、独立後初めての仕事で、博多(ホテル)京都(義父の別宅)東京(自宅)の間を、旅をしながら仕事をする、今でいうデジタルノマドな生活を楽しんだ時です。
携帯用パソコンの効用
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi10.htm
博多には新し物好きが集まる気風があり、当時インターネットの可能性を熱く語る方々と知り合う機会に恵まれましたが、その中でマハティール首相の講演会でパネリストとして登壇した、会津泉さんのメーリングリストに参加の機会を得たことで、インターネットの明るい未来を確信出来ました。
博多で仕事をスタート マハティール首相の講演
http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=186
企業人、公務員、ジャーナリスト、研究者、学生など、会津泉さんの個人的繋がりで集まった「実名・オフレコ」のメーリングリストで、会津泉さんは、インターネットの黎明期から活動されていた社会学者、公文俊平氏の門下生で、ネット社会の在り方について、深い議論が交わされていました。
会津泉 プロフィール
https://bit.ly/3twVbU7
公文俊平氏は、ネット空間を活用し生活や業務を変革することを「智民」「智業」というキーワードで論じており、それをベースにメーリングリストでもインターネットによるコミュニケーションについて前向きな議論がなされていて、OASISとINSWATCHのvirtual組織化の礎になりました。
痴・智・知(上記メーリングリストの議論の受け売り)
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi30.htm
OASISは企業内診断士の副業組織なので、月1、2回土日など体が空く休日に集まって、公共施設の会議室などを借りて、リアルなミーティングを行なっていましたが、INSWATCHは究極なvirtual組織になっていて、リアルなミーティングは年1回です。
即日決算の上、最短4月1日に、決算報告→事業計画→懇親会という、年1回だけのリアルなミーティングを楽しんでいましたが、コロナ禍でミーティングもパスという状況です。オミクロンで打ち止めになることを期待して再開を待っています。
年1回のミーティング 創業メンバー5人+謎の人物高村さん
https://bit.ly/3FyFFtA
(株)いとう社長の高村さんは、ほぼ懇親会は皆勤で、実はインスウオッチの影のCIO(Chief Information Officer)です。スタート時は、私がシステム設計、大学院在籍中だった息子がプログラミングといった家内工業でしたが、手に負えなくなり、現在は(株)いとうにお願いしています。
私は55歳で転身しOASISとINSWATCH で良い仲間に恵まれました。50代に良い人間関係に恵まれると、80代になって健康で幸せを感じている人が多いと、1938年から継続して成人を追跡しているハーバード大学の研究で述べています。私は昨年末81歳になりましたがこれからが楽しみです。
この TEDの動画は感動もの!継続は力、米国の底力を感じます。
https://digitalcast.jp/v/23938/
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
次回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=203