インスウオッチ Vol.1127 2022.03.07 https://www.inswatch.co.jp/
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バックナンバー>https://bit.ly/3mi2CJN
2001年、21世紀の幕開けとともに60歳になった私は、OASISとINSWATCHをベースに、コンサルタント稼業をなんとか軌道に乗せることが出来ました。ここで当時のインターネット事情を振返ってみます。
ノストラダムスの大予言(1999年7月人類滅亡の日)やY2K(コンピュータ西暦2000年問題)を無事?乗り越え、新世紀を迎えられるのでは思われた矢先に、急騰を続けていたインターネット関連企業の株価が暴落、米国を震源地にいわゆるITバブルの崩壊が始まります。
日本では、ソフトバンクの株価は約100分の1に下がり、時価総額は20兆円から2800億円に急落、これをキッカケに孫正義氏のADSLによるブロードバンド参入という起死回生の挑戦が始まり、日本のIT関係で唯一誇れるブロードバンド大国になるという道筋を作りました。
ソフトバンク史上、最も無謀な挑戦ブロードバンド参入
https://sippaidan.com/masayoshi-son-broadband-entry
私の自宅がある井の頭線久我山駅前にも「パラソル部隊」が出没し、通行人に片端から声をかけ、ADSLモデムを無償配布していました。これが日本のブロードバンドを一気に広げるキッカケになり、その後の光ファイバー網の整備に繋がりました。
ブロードバンドとは、大容量のインターネット接続サービスで、常時接続が可能なサービスです。孫さんがNTTに風穴を開けてADSLに挑みましたが、現在では光ファイバー網にほぼ置き換わると共に、4G、5Gといった無線のブロードバンドも身近になっています。
ビジネスネットワーキング xDSL(77)保毎連載
https://bit.ly/3JpRLHz
私が初めてインターネットに接続したのは1996年で、その後1998年に我が家にISDN導入を導入、ここまではナローバンドといわれるダイヤルアップ接続でしたが、1999年にCATVによる常時接続が実現、ブロードバンドの快適さを実感しました。
1996年 IBM Think Pad インターネットダイヤルアップ環境
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi21.htm
1998年 複合機にISDN導入
https://bit.ly/3GFLHsA
1999年 SONY VAIO CATVインターネット常時接続サービス
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnGK/gk32-.html#p36
その後2004年渋谷にワンルームのオフィスを開設、初めて光回線にWi-Fiを繋げてその快適さに驚き、早速2005年に我が家にも光を導入することになりました。当時はソフトバンクが火を付けたADSLの加入者が1,000万人を突破する勢いでしたが、光が急速に加入者を増やし始めた時期でした。
先日テレビで〈ポツンと一軒家〉を見ていたら、山奥の一軒家まで光ファイバーが届いていて、2拠点生活でリモートワークをしている方が出ていました。日本の光回線の世帯カバー率は現在9割を超えていて、ITで数少ない世界に誇れる分野で、これには孫さんの功績大と言えそうです。
ブロードバンド基盤整備の推進 令和3年版 情報通信白書
https://bit.ly/3uEJifM
世紀末から21世紀初頭にかけては、世界中のパソコンがブロードバンドで常時接続するという世界が開かれ、ITは分散から再び集中へと、第3のプラットフォーム、クラウドに向けて動き始めます。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
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インスウオッチ Vol.1125 2022.02.21 https://www.inswatch.co.jp/
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インスウオッチ読者には、保険会社の方もおられるので、大企業に勤めながら、転職、兼業、副業を繰り返して独立という特殊な経験をした私から、今回ちょっと横道に入って、保険会社においても副業解禁が続く中、〈人生100年時代 副業のすすめ〉というお題でお話しします。
昨年1月東京海上日動が、〜社員一人ひとりの成長の実現に向けて〜と、副業を解禁でなく推奨するニュアンスで全社員に呼びかけて注目を浴びましたが、その後損保ジャパンが社内副業を解禁、最近では三井住友海上が「社外カルチャー経験者比率」をKPIにするといった策に出ています。
社員の挑戦を支える「社外副業」の効果的な活用へ2021.01.06
https://bit.ly/3EAzF2M
大企業では異例、三井住友海上が昇進要素に2022.01.25
https://times.abema.tv/articles/-/10012752
昨年サントリの新浪社長が「45歳定年制を敷いて、個人は会社に頼らない姿勢が必要」と述べてネットで炎上しましたが、若いうちは薄給で働き後から取り戻すという年功序列の仕組みが大企業で厳然と残る中では、45歳は正に取り戻しにかかっている世代で、炎上もやむなしでした。
45歳ぐらいは気力も体力も充実していて、転身を図るタイミングとしては大変良いと思いますが、終身雇用で年功序列という制度ががっちり出来ているので、私の場合も早期退職すると退職金や年金が大きく減り、経済的ダメージが大きいので、結局55歳まで勤めることになりました。
私が年功序列は世界では通用しないなと感じたのは、1978年にアブダビ政府側と油田開発のため日本から派遣するスタッフの給与について交渉した時でした。職能給(年功給)の給与テーブルを示しところ、理解不能と怪訝な顔をされて、結局世界標準の職務給を受け入れざるを得ませんでした。
若いスタッフには大変喜ばれ、休暇に世界一周の旅を楽しむなど、皆さん高い給与を謳歌していました。当時はいずれ日本も職務給になって行くだろうと考えていましたが、40数年たった今も年功給が色濃く残って、終身雇用で年功序列という、高度成長を牽引した慣行の根深さには驚かされます。
この慣行は、教育、雇用、社会保障といった、いわばゆりかごから墓場までどっぷりと制度に組み込まれていて、解きほぐすのは大変ですが、さすが持続不能な慣行ですので、ミレニアムやZ世代の若者が45歳になるころには、日本も流動性の高い職務給が主流の世界になっていると思います。
インスウオッチ読者には、保険会社にお勤めの20代、30代の若い方が多数おられますが、地球環境問題という難題はあるものの、急速な医療の進歩を考えると、人生100年は当然の前提になりそうで、人生二毛作、三毛作にそなえ、副業で将来に向けて選択枝を増やすことをお勧めします。
私の場合は、当時の人事部長が、大脳生理学の研究でも知られていた、人を見る目のある武田豊氏で、ゼネラリストとして出世の階段を昇るのは不向きと見られたようで、企画庁を出発点にスペシャリストの道を歩むことになりますが、自分の選択ではなく、外から与えられた幸運でした。
武田豊「皆からリーダーは見つめられている」
https://note.com/hisatune/n/n372a4dc0d2b5
皆さんの場合は、自らの選択で副業が出来るといった恵まれた立場ですので、現状に満足せず、いろいろチャレンジしてほしいと思います。私達の時代はゼネラリストかスペシャリストかでしたが、今は両方が求められる時代のようで、この点でも副業は能力開発のチャンスです。
T型人材|新しい時代を牽引する人材タイプ
https://times.mazrica.com/column/t-type-human-resources/
追記
以下は東京海上日動の社内副業制度「プロジェクトリクエスト制度」のアウトプット。東海のスタッフが副業として、代理店のマーケティング要員となって、お金を頂くということになれば理想的ですが如何でしょうか?
保険代理店向けデジタルマーケティングプラットフォーム 2022.01.14
https://www.atpress.ne.jp/news/293946
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
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インスウオッチ Vol.1123 2022.02.07 https://www.inswatch.co.jp/
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私は、企画庁をスタートに、身分保障での転職や社内副業いった形で、プロジェクトの立ち上げに関わることが多くありました。立場上少人数のチームのマネージメントを任されるケースが結構あり、その時は透明性を確保するため、全員参加のミーティングを頻繁に行なうことを心掛けました。
Tealな組織に透明性は欠かせませんが、全員参加ミーティングというアナログの世界を、インターネットに置き変えられそうと感じたのが、独立後初めての仕事で、博多(ホテル)京都(義父の別宅)東京(自宅)の間を、旅をしながら仕事をする、今でいうデジタルノマドな生活を楽しんだ時です。
携帯用パソコンの効用
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi10.htm
博多には新し物好きが集まる気風があり、当時インターネットの可能性を熱く語る方々と知り合う機会に恵まれましたが、その中でマハティール首相の講演会でパネリストとして登壇した、会津泉さんのメーリングリストに参加の機会を得たことで、インターネットの明るい未来を確信出来ました。
博多で仕事をスタート マハティール首相の講演
http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=186
企業人、公務員、ジャーナリスト、研究者、学生など、会津泉さんの個人的繋がりで集まった「実名・オフレコ」のメーリングリストで、会津泉さんは、インターネットの黎明期から活動されていた社会学者、公文俊平氏の門下生で、ネット社会の在り方について、深い議論が交わされていました。
会津泉 プロフィール
https://bit.ly/3twVbU7
公文俊平氏は、ネット空間を活用し生活や業務を変革することを「智民」「智業」というキーワードで論じており、それをベースにメーリングリストでもインターネットによるコミュニケーションについて前向きな議論がなされていて、OASISとINSWATCHのvirtual組織化の礎になりました。
痴・智・知(上記メーリングリストの議論の受け売り)
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi30.htm
OASISは企業内診断士の副業組織なので、月1、2回土日など体が空く休日に集まって、公共施設の会議室などを借りて、リアルなミーティングを行なっていましたが、INSWATCHは究極なvirtual組織になっていて、リアルなミーティングは年1回です。
即日決算の上、最短4月1日に、決算報告→事業計画→懇親会という、年1回だけのリアルなミーティングを楽しんでいましたが、コロナ禍でミーティングもパスという状況です。オミクロンで打ち止めになることを期待して再開を待っています。
年1回のミーティング 創業メンバー5人+謎の人物高村さん
https://bit.ly/3FyFFtA
(株)いとう社長の高村さんは、ほぼ懇親会は皆勤で、実はインスウオッチの影のCIO(Chief Information Officer)です。スタート時は、私がシステム設計、大学院在籍中だった息子がプログラミングといった家内工業でしたが、手に負えなくなり、現在は(株)いとうにお願いしています。
私は55歳で転身しOASISとINSWATCH で良い仲間に恵まれました。50代に良い人間関係に恵まれると、80代になって健康で幸せを感じている人が多いと、1938年から継続して成人を追跡しているハーバード大学の研究で述べています。私は昨年末81歳になりましたがこれからが楽しみです。
この TEDの動画は感動もの!継続は力、米国の底力を感じます。
https://digitalcast.jp/v/23938/
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
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インスウオッチ Vol.1121 2022.01.24 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=200
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前にお話しした中小企業診断士のネットワーク組織OASISに加え、INSWATCHを始めることで、仕事のベースが揃いました。ここからOASISとINSWATCHに私が関わった背景を、ちょっと俯瞰する形で、2つのキーワード、Teal組織とvirtual組織でお話しします。
今回はTeal組織についてです。新しくインスウオッチに加わった伊藤さんが、前回紹介したレポート〈インスウオッチの事業承継 代表退任に当って〉を読んで、インスウオッチはティール(teal)な組織でないの?と感想を漏らされましたが、我が意を得たりで、大変うれしく思いました。
ブラックでもホワイトでもない「ティール(teal)な会社」とは?
https://ej.alc.co.jp/entry/20180201-book-teal
インスウオッチは、稲葉さんと私が引退したタイミングに、大変残念なことに石井さんが亡くなられ、どうなることかと心配しましたが、森田さんのネットワーク力で、伊藤さんと横山さんが加わり、2人の参加で益々teal度が増して行くのではと期待しています。
伊藤 糸野
https://www.inswatch.co.jp/writervalue.php?wid=100070
横山 沙織
https://www.fpmama.com/lecturers/tokai/post_6/
teal組織は、コロナ禍で働き方が様変わりする中で、大企業の人事部門でも興味の的になっていますが、昭和の香りが残っているamber色の大企業もまだまだ多く、なかなかハードルは高そうです。一方で、私の経験から言えば、小さい組織ではハードルが低くなり、実現可能性が高まります。
私がtealな組織に触れた最初は、前にお話しした1969年に経済企画庁に派遣された時でした。経済白書の執筆がミッションの課で、中がテーマ毎に官民合同の班が編成されていて、私は物価班に所属、正に私が理想としている〈知的で心地よい暮らし〉を満喫しました。
(3)第1のプラットフォーム(メインフレーム/端末システム)
http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=176
私が富士製鉄に入社したのは、ナンバー2の会社(当時の保険会社でいえば安田火災のポジション)の方が自由に働けるのではとの動機でしたが、やはりそこは大企業、amberな世界で、結構ストレスフルの生活を送っていましたので、物価班での解放感は半端でなく衝撃でした。
当時の企画庁の調査畑には一流のエコノミストを目指すためのキャリアパスと考えている方も多く、民間から派遣のスタッフも親元を離れての気安さがあり、自由にものが言える、いわいる心理的安全性が高い組織で、少人数で居心地の良いtealな世界を楽しみました。
OASISではこの体験をもとにその再現に務めました。企業内診断士に呼びかけて作った、コンサルティング用の新商品開発をミッションにした組織で、副業によるネットワーク組織です。現在は大企業においても副業解禁の動きがありますが、当時は結構運営に苦労がありました。
企画庁は正にアナログの世界でしたが、OASISはデジタルでtealな組織を創る試みでした。メーリングリストで情報共有を行ない、事務所を持たないvirtualな組織で、その経験をINSWATCHに引き継ぎました。次回はvirtualな組織を試みるきっかけとなった博多での体験をお話しします。
経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
次回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=202
インスウオッチ Vol.1119 2022.01.10 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=199
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明けましておめでとうございます。2000年に創刊したインスウオッチは、8万人の読者の皆様とご一緒に、22年目の春迎えることが出来ました。私自身は経営を森田さんに引き継ぎ引退しましたが、この連載を通じて皆さんとのご縁が続くことに、大変感謝しています。
昨年正月に始めた本連載は、利用者の立場で趣味と実益を兼ねて、ITと約半世紀付きあってきた軌跡を、私の履歴書風に書き綴っておりますが、現在連載も中盤を迎えていますので、もう少しお付き合いをお願いします。
我が国で現存する最古の有料メールマガジン(メルマガ)は、私が知る限りでは1996年5月に創刊した「JNEWS LETTER」でないかと思います。独立起業などに向けたビジネス専門情報誌で、ダウ・ジョーンズとも提携し、企業向け情報データベース「Factiva」にもコンテンツを提供しています。
about JNEWS LETTER
https://www.jnews.com/letter/letter.html
なお、わが国最初の有料メルマガは、インスプレス社の「INTERNET Watch」で、1995年11月に創刊され、メールマガジンという分野を作り上げた伝説のメルマガでした。メルマガによる配信は2014年12月27日号をもって終了、WEBに移行しました。
INTERNET Watch
https://internet.watch.impress.co.jp/
私は「JNEWS LETTER」と「INTERNET Watch」の両方を、創刊号から愛読しており、インスウオッチの名前はINSurance WATCHerの略で「INTERNET Watch」からインスパイアされたもので、インスウオッチの創刊に当り運用方法など大いに参考になりました。
電子メール新聞(63)保毎連載
https://bit.ly/3soaxd1
メールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』として、現(株)まぐまぐが、1997年1月に無料の配信サービスをスタートさせ、爆発的に普及することになり、2001年8月には有料の配信サービス『まぐまぐ!プレミアム』が始まります。
まぐクリックが有料メルマガサービス開始
https://xtech.nikkei.com/it/free/NNB/NEWS/20010803/1/
メルマガの有料版は個人が配信するケースが殆どで、JNEWS LETTERや我がインスウオッチなど、会社組織で広告に頼らずコンテンツで勝負しているのは、大変珍しく貴重なケースではないかと自画自賛しています。
1995年に「INTERNET Watch」を読み始めたころは、自分がメルマガを始めるとは夢にも思いませんでした。中崎さんとの偶然の出会いが幸運をもたらしたもので、その顛末は以下に触れています。あわせて森田さんが書いたコラムも上げますので、結構面白いので、お暇な折にお読みください。
Inswatch Professional Report【第172号】2018.02..23
インスウオッチの事業承継 代表退任に当って 長 忠
http://cho.eforum.biz/pdf/inwatch201802172pro.pdf
森田直子もブログ inswatch誕生物語
http://blog.livedoor.jp/inswatch03/archives/cat_30950.html
追伸
レポートの中で触れた民泊計画(Bike&Bed Tokyo)は、民泊新法で営業が180日に制限されることになり断念、レンタルスペースとして運用していましたが、こちらもコロナ禍で中断状況に、テーマはITと不動産ですが、アフターコロナに向け、面白い展開が出来ないか模索中です。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
http://cho.eforum.biz/modules/xoopsfaq/index.php?cat_id=7
次回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=201