インスウオッチ Vol.1069 2021.03.21 https://www.inswatch.co.jp/
前回>http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=178
大連育ちの母親が北京の街を颯爽と歩く写真が残っています。タイピストとして満鉄に勤めていて、父親と社内結婚して私が生れましたが、タイピストは女性にとって当時花形の職場だったようです。
和文タイプは20世紀初頭に開発され、長らく使われていましたが、あくまで文書の清書用で、私が入社してからしばらくは、稟議書など社内文書は依然手書きで、字の下手な私は代筆探しに苦労しました。
その環境が劇的に変わったのは日本語ワープロ機の出現でした。ワープロは1978年に登場以来、わずか10年で600万円超から10万円台へと、個人でも手が届く価格になり、爆発的に普及しました。
【東芝】 JW-10 1978年に我が国初の日本語ワードプロセッサ
http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0049.html
ワープロメーカーの皆さんは80年代末には強気の見方をしていましたが、パソコンがネットで繋がり始め、文書の保管・参照・流通がデジタルで可能となり、またメールなど文字でのコミュニケーションが一般化することで、パソコンに道を譲ることになりました。
「ワープロはいずれなくなるか?」30年前のメーカー各社はどう答えた?
https://dime.jp/genre/644604/
ワープロを少し遅れる形でビジネス利用が始まるパソコンは、日本語処理を武器にしたNECのPC-98シリーズが我が国では独走状態になり、1987年3月には累計出荷台数が100万台を達成、対応ソフトは5千本を超えました。
1980年代パッケージソフト全盛期とアプリの共通点
https://web-sele.com/docs/p132.html
パソコンのビジネス利用を決定づけたのは、表計算ソフト、ロータス1-2-3というキラーソフトの登場です。私自身が初めて触れたのは、会社が導入したIBMのパソコンでしたが、PC-98にワープロの一太郎と一緒に入れて利用、が当時の定番で、私のような企画マンにとって衝撃のソフトでした。
さようなら!ロータス1−2−3表計算ソフトの歴史
https://news.yahoo.co.jp/byline/kandatoshiaki/20141003-00039667/
NECのパソコンは実はゲーム機という側面も持っていて、膨大なゲームソフトが開発され、わが国のおたく文化の基礎を築いたという功績があります。私の2人の息子もゲームのプログラミングでNECのパソコンのお世話になった口で、現在も仕事の傍らゲームの開発を楽しんでいるようです。
PC9801のゲームソフト年表
https://bit.ly/3rRtsdu
時代はバブル景気に沸くざわついた時代でしたが、鉄鋼業はプラザ合意による円高で設備の集約に追い込まれ、私は遊休化した堺製鉄所の開発プロジェクトを担当することとなりました。その時出会ったのが携帯用パソコンで鮮烈デビューを果たした東芝ダイナブックでした。
次回は日本語で守られて独走してきたNECのPC-98が、世界標準機に飲み込まれる過程を見ます。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
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インスウオッチ Vol.1069 2021.03.08 https://www.inswatch.co.jp/
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我が家にパソコン(PC)が初めて入ったのは、NECが1981年11月に発売したPC-6001でした。BASICというプログラミング言語で動き、日本では数多くの第2世代プログラマーが、このPCで育ったと言われています。
https://tomomik452.hatenablog.com/entry/2019/10/02/073325
実は我が家もPC-6001を皮切りにPCが溢れるようになり、ゲームのプログラミングに熱中した2人の息子は、上の息子はメーカーのIT系の研究員に、下の息子は大学の情報系の教員になるはめになりました。
油田開発の仕事を終え、1980年に本社経営企画部にもどり多角化戦略、新規事業企画担当部長となり、その時SHARP PC-1500に出会い、PPM分析で多角化戦略を立てたり、新規事業の事業性評価などに使いました。
PC-1500は私が初めて入手した携帯型のコンピュータで、テンキーでデータ入力が出来るので、コンサルとして独立後も食品スーパーの売場で棚割のデータを収集して、粗利アップの提案に使うなど、結構重宝しました。
http://bluess.style.coocan.jp/computer/pc1500.htm
PC-1500は多色印刷のプロッターでグラフが描けたので、PPM分析でバブルチャートを出力したりして楽しんでいました。PPM分析は、顧客の層別化や営業所のポジション分析など、工夫次第で応用範囲が広く、今はExcelでバブルチャートが簡単に描けますので、ご活用ください。
【Excel】バブルチャートの作り方 営業所のポジション分析
https://mainichi.doda.jp/article/2019/06/05/1652.html
PPMで顧客層別化 保険代理店の経営改革(7)客単価を上げるには?
http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=153
1980年代初めは、PCはまだまだビジネス用には使い勝手が悪く、大企業では空調の利いた電算室にメインフレームが鎮座しており、中堅・中小企業にはオフコンという、各社毎に作り込まれた日本独自のシステムが普及、こちらもガラカボス化して、2025年の崖問題を抱えています。
オフコンとは?すぐにリプレースすべき理由
https://www.clouderp.jp/blog/what-is-an-office-computer
ガラパゴス化は我が国ITシステムの宿痾とも言うべきものですが、今話題のワクチン接種で、ひょっとするとその打開策となるのではという動きがありました。国のワクチン接種記録システムを、大手システム会社が2週間という短納期に対応出来なかったようで、ベンチャー企業が受注しました。
ITベンチャーのミラボが3.85億円で受注
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2102/19/news126.html
大手は、上記のオフコンで見たように、注文建築方式で作ったシステムでユーザーを囲い込み、継続的に維持補修でも稼ぐというモデルですが、これが我が国のガラパゴス化の背景にあり、今回それに風穴が開きました。
国の方は、接種実績をリアルタイムで捉える機能にシステムを絞ることで、スモールサクセスを狙っているようですが、今回の発注の成否がデジタル庁の将来に大きく影響しそうなので、蔭ながら旨く行くことを祈っています。
1980年代中ごろになるとPCのビジネス利用がいよいよ本格化します。次回はその辺の事情をお話しします。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
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インスウオッチ Vol.1069 2021.02.22 https://www.inswatch.co.jp/
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バックナンバー>https://bit.ly/3mi2CJN
前回お話しした経済企画庁派遣中に八幡・富士の合併があり、今浦島状態で1970年に本社に戻りましたが、その後退職の1994年まで、本業の鉄ではなく、もっぱら新規事業の立ち上げの仕事に携わることになりました。
この間2つの大きなショックを経験し、時代が大きく変わるさまを目撃しました。オイルショックで高度成長から安定成長へ、バブル崩壊でジャパンアズナンバーワンから失われた30年への転換で、鉄鋼業も〈鉄は国家なり〉から構造不況業種へと様変わりします。
ITは丁度この時代に集中(メインフレーム)から分散(パソコン)へと舵を切ることになりますが、新規事業の立ち上げの仕事に絡めて、ITで私の経験したことをお話しします。
企画庁から戻って最初の仕事が、東京湾横断道路(現アクアライン)とセットで新日鉄のおひざ元の木更津・君津後背地を開発するというプロジェクトで、企画庁での経験を生かして地域経済モデルを作って、東京湾横断道路の経済効果を測定するといったことを、メインフレームで進めました。
モデルでの結論は、後背地の開発には道路と鉄道の併設が必須ということでしたが、本プロジェクトは1973年のオイルショックで中断した後、紆余曲折をへて横断道路は実現しますが、残念ながら鉄道との併設は実現しておらず、後背地の開発(現かずさアカデミアパーク)は旨く進んでいません。
調べる学習部門 小学生の部(高学年) 2016年(第20回) 文部科学大臣賞
アクアライン鉄道は実現できるのか?
https://bit.ly/3tA1BzF
次に関わったプロジェクトは、オイルショックを契機に国策で自主開発原油(日の丸原油)を確保する必要性が叫ばれ、その一環としてスタートしたアブダビ沖の海底油田開発でした。新日鉄のエンジニアリング部隊が関わることになったプロジェクトで貴重な体験をさせてもらいました。
そこでリモートコンピューティングサービスに出会いました。メインフレームという高価で高機能な計算機を共同で安く利用する計算サービスですが、現在IT利用の主流を占めるクラウドサービスと本質は一緒です。ITは現在分散から再び集中の時代となっていますが、歴史は繰り返すようです。
保毎連載コラム(1998年4月〜外部環境への1視点)油田と顧客の生涯価値
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnGK/gk32-.html#p32
コラムで触れた「Winning」は1992年に米国で出版された古典的名著ですが、当時表計算ソフトで市場を席巻していたLotus 1-2-3でLTVを算出する方法が本書に詳しく載っており、今でも参考になります。以下は「Winning」を参考に、我が国の保険代理店でLTVを算出した事例です。
Inswatch Solution Report 2009.06.12 保険代理店ケースファイル(5)
(有)ユーズネットワーク ネットでお客様を育てる
http://cho.eforum.biz/pdf/200906-69sol.pdf
油田開発の仕事を終え1980年に本社に戻りますが、いよいよ我が家にもパソコンが入り、個人にもコンピュータが手に届く面白い時代になります。次回はその辺の顛末をお話します。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
次回> http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=178
インスウオッチ Vol.1069 2021.02.08 https://www.inswatch.co.jp/
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◆第1のプラットフォーム(メインフレーム/端末システム)
私は高度成長の最中の1963年、後に八幡製鉄と合併して新日鉄となる富士製鉄に入社しました。第1のプラットフォームの草創期で、八幡製鉄が新設の君津製鉄所の生産管理用に、最新鋭の汎用大型計算機(メインフレーム)IBM360を4台採用することが話題となりました。
IBM360で製鉄所をノンストップ・リアルタイムで動かすという世界初の野心的プロジェクトで、コンピュータに関心を持つキッカケになりましたが、1969年に私は会社より経済企画庁に派遣され、メインフレームと関わりを持つことになりました。
ビジネスネットワーキング(2)汎用大型機の時代 保険毎日新聞連載
http://www2.biglobe.ne.jp/~cho/columnBN/mainichi2.htm
現在デジタル庁で民間スタッフ活用の話が進んでいますが、当時企画庁は民間からのスタッフとの合同チームで経済白書を作っていて、私はFortranという科学技術用コンピュータ言語を勉強して、計量経済モデルを解いて物価の予測をするといったことに、メインフレームを使っていました。
当時は、中国のちょっと前のように、実質成長率が年率10%を超える高度成長が続いており、私が企画庁に入る前年の1968年に当時の西ドイツを抜いてGNPが世界第2位になるという時代でしたが、物価の上昇が大きな懸念材料になっていました。今から考えると隔世の感があります。
メインフレームは、1980年代に投資のピークを迎えますが、わが国では失われた30年の間更新が進まず、橋やトンネルといったインフラの老朽化が社会問題になっていますが、実はITの世界でも老朽化が深刻で、それが前回ご紹介した≪2025年の崖≫レポートの背景にあります。
メインフレームのメーカーは現在6社で、富士通、日立製作所、日本電気と日本の3社が残っていて健闘しているように見えますが、これは失われた30年で日本がガラパゴス化している結果とも考えられ微妙です。
メインフレーム用言語にはFortranとならんで、事務計算用にCOBOLという言語が使われていて、これから続々とCOBOLの使い手が定年を迎えるという事情も2025年の崖にはあります。
6割の企業にCOBOLシステム、「お荷物」なのに捨てられぬhttps://active.nikkeibp.co.jp/atcl/act/19/00097/060700003/
保険業界については2025年の崖問題については、各社とも比較的対応が進んでいるように見えますが、代表例として2020年のDX銘柄に選ばれた損Jの取組みを紹介します。
≪未来革新プロジェクト≫
2016〜22年、1500億円、基幹システム更新
http://www.sompo-sys.com/recruit/future/project.html
https://bit.ly/33qkYQ6
2020年DX銘柄(経産省が優秀上場企業35社を選定)
https://www.meti.go.jp/press/2020/08/20200825001/20200825001.html
1980年代に入るとパーソナルコンピュータ(パソコン)が登場し、第2のプラットフォーム(クライアント/サーバ)へ向けて、集中から分散へとITが舵を切ります。次回より何回かに分けてその辺の事情をお話しします。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
次回> http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=177
インスウオッチ Vol.1069 2021.01.25 https://www.inswatch.co.jp/
前回> http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=174
◆デジタルトランスフォーメーション(DX)
わが国でD Xが世間に広く知られることになったキッカケは、2018年9月に経産省が出した≪ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開≫というレポートでした。
https://bit.ly/37wFvUC
我が国はバブル崩壊後経済の低迷が続き、失われた30年となりましたが、レポートでは、前回述べたガラパゴス化したITシステムが老朽化しており、放置するとDXが進まず、年間12兆円の経済損失が生じる可能性ありと警鐘をならしていますが、このレポートでのDXの定義は以下の通りです。
経産省のDX定義(2018年)
企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること
この定義はIT調査会社IDC Japanの以下の定義を下敷きにしたようです。
IDC JapanのDX定義(2016年)
企業が外部エコシステム(顧客、市場)の破壊的な変化に対応しつつ、内部エコシステム(組織、文化、従業員)の変革を牽引しながら、第3のプラットフォーム(クラウド、モビリティ、ビッグデータ/アナリティクス、ソーシャル技術)を利用して、新しい製品やサービス、新しいビジネスモデルを通して、ネットとリアルの両面での顧客エクスペリエンス(経験、体験)の変革を図ることで価値を創出し、競争上の優位性を確立すること
私は、ITのプラットフォームが集中と分散という流れを繰り返しながら、導入期→成長期→成熟期と30年周期で回っていて、前の世代の成熟期に次の世代の導入期が重なるという形で動いているとの仮説を立てています。
第1のプラットフォーム(メインフレーム/端末システム)
1960年代から1980年代 集中の流れ
第2のプラットフォーム(クライアント/サーバーシステム)
1980年代から2000年代 分散の流れ
第3のプラットフォーム(クラウド、モビリティ、ビッグデータ/アナリティクス、ソーシャル技術)
2000年代から2020年代 集中の流れ
第4のプラットフォーム?(IoT、エッジコンピューティング、5G、ブロックチェーン)
2020年代から2040年代 分散の流れ
我が国の問題は、ガラパゴス化した第1と第2のプラットフォームが邪魔をして、第3のプラットフォームにスムーズに移れないことで、DXの前提であるデータ活用が困難になっていることです。暮れも迫った昨年12月28日、DXレポートの中間取りまとめが発表になり、DXをキッチリ進めている企業は上場有力企業でも未だ5%程度とわが国の遅れを嘆いています。
https://bit.ly/3igIlC8
中間取りまとめでは≪レガシー企業文化からの脱却≫が必要と強調していて、前回述べたように、コロナ禍を機に日本人が心を入れ替えられるかどうかの今が正念場と言えそうです。次回から時代を追ってITプラットフォームの変遷を見て行きます。
(経営数理研究所代表 インスウオッチ客員研究員)
次回> http://cho.eforum.biz/modules/news/article.php?storyid=176